分子サイバネティクス
キーワード:DNAコンピューティング,記憶と学習,可塑性
【研究の目的】
本研究テーマでは,記憶を化学反応でどのように実現するか,記憶の書き込み,読み出しはどのように行うか,その学習則はどのようなものか,などの問いに答えることで,ウェットなシステムによる記憶・学習分子回路の開発を目指します。これは,化学の原理で動作する人工知能,言わばケミカルAIの実現を目指すことに他なりません。つまり,「化学的に実装可能なAIのフレームワークとは何か?」が本研究テーマの核心をなす学術的問いです。
【研究の内容】
DNAコンピューティングは,所望の情報処理を行う人工の分子反応系(以後,分子回路と呼びます)を合理的に設計・実装するための理論と技術に関する学術分野です。分子回路には主に2種類のアナロジーが存在します。
1つ目は,半導体集積回路です。例えば,ブール代数におけるAND,OR,NOT関数などの論理関数をDNA分子回路によって実現し,それらの組み合わせ設計によって論理回路を構築する研究がその代表例です。
2つ目のアナロジーは,脳の神経ネットワークです。脳は膨大な数のニューロンが集積したもので,ひとつひとつのニューロンは小さなコンパートメントの中の化学反応系と言えます。例えば,1㎤の空間を1pLのニューロンで満たすと,10億個のニューロンからなるネットワークシステムが構築できることになります。
本研究では,後者のアナロジーに基づいて,脳神経ネットワークのような知的な情報処理を分子ネットワークで実現するための理論と技術を確立します。
脳神経ネットワークのニューロンは,言わばコンパートメントを持つ可塑的な学習分子回路です。ここで,可塑性とは外部からの刺激に応じてシステムの内部状態を動的に更新することができるという性質と考えます。近年,学習分子回路が備えるべき(必要条件としての)可塑性をDNA分子回路上に実装しようとする挑戦が世界的に始まっています。回路の可塑化の実現には,反応後の終端状態をもう一度初期状態へ遷移させるリセット機構が必要となります。一方,人工の分子回路も,熱力学法則に則った反応機構であり,自由エネルギーを最小化する方向へ反応が進行ため,いったん最安定状態に反応が落ち着くと,原理的にそれ以上の反応は起こりません。現在のところ,こうした分子反応系の初期・終端状態を自在に遷移させるための方法は確立されていません。さらに,可塑的な分子回路に記憶・学習能力を持たせるためには,繰り返し印加される入力刺激を内部状態として記憶し,学習すべき機能の獲得へ向かって初期状態を更新する学習則が必要となります。現在のところ,AI分野では,ノイマン型コンピュータへ実装可能な誤差逆伝播法が利用されていますが,脳神経ネットワークにおけるニューロンの学習原理は不明な点も多いです。一方で,化学反応系というプラットフォーム上に実装可能な学習則はどのようなものか?というテーマはほぼ未踏の研究分野といえます。
さらに具体的な研究テーマについては,以下のサイトをご覧ください。
超早期発見・超早期治療に向けた神経・臓器・免疫ネットワーク系の計測と制御
キーワード:ムーンショット(目標2),システム生物学,制御理論,ホメオスタシス
【研究の目的】
本研究のテーマは,私たちの体の中に存在する巨大な神経・臓器・免疫ネットワーク系に対する解析・制御手法を開発することです。特に,糖尿病に代表されるエネルギー代謝に関連する疾病に着目し,これらの疾病を臓器間ネットワーク系の何らかの異変と解釈します。そして,制御理論とシステム生物学的なアプローチを用いて,ネットワーク系の異変を捉える計測手法(診断)と元の状態へと遷移させる制御手法(治療)の開発を目指します。
【研究の内容】
糖尿病などのエネルギー代謝に関連する疾病はどのようなメカニズムで発症し,進行するでしょうか。
エネルギー代謝制御系の中心とも言える臓器間ネットワークでは,血中の栄養素やサイトカインなどのネットワーク系のシグナル分子(液性因子)が臓器間でやりとりされており,これら分子の濃度は適切に調節されています。
本研究では,臓器間ネットワーク系(図中の緑で示される系)はそれ自身,血管という複雑な物流網で結ばれた巨大なフィードバック制御系であると解釈し,システムの安定性やロバスト性がどのように維持されているのか,どのように破綻するのかを制御理論の枠組みで捉えます。
臓器の実態は,臓器を構成する細胞集団であり,ネットワーク系における各臓器の性質は,臓器を構成する細胞集団の性質によって定まると考えます(図中で紫色で示される系)。
さらに,各細胞には,タンパク質間相互作用によって形作られるシグナル伝達系と約2万種類にも及ぶ遺伝子が織りなす遺伝子ネットワークが存在します(図中でオレンジ色で示される系)。
臓器間ネットワーク系の制御理論を考える上で,臓器間ネットワークが持つ階層構造を如何に適切に取り扱うかが重要となります。
近年,エネルギー代謝制御系としての臓器間ネットワークを考える上で,末梢神経や視床下部ニューロンを介した中枢神経系との連動,炎症反応を介した免疫系との関係も重要であることが報告されています(図中で水色で示される系)。
糖尿病などのエネルギー代謝に関連する疾病を超早期に発見・超早期に治療するためには,巨大な神経・臓器・免疫ネットワーク系に対する解析・制御手法を構築することが必要であり,これは制御工学という学術においても全く新しい挑戦になることは間違いありません。
本研究は,ムーンショット(目標2)において実施される研究であり,プロジェクトの詳細は以下のサイトをご覧ください。